安塚の戦い
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戊辰役戦死之墓

○ 安塚の戦いについて

大政奉還を不服とした幕軍の将大鳥圭介は、会津を中心として奥羽同盟を強大にすべく壬生を経て宇都宮に入ろうとしたが壬生藩の拒絶にあい、やむを得ず栃木を廻り、栃木から鹿沼を通って宇都宮に入った。

宇都宮城を落とした大鳥軍は、明治元年2月21日(1868年)から壬生城攻略の行動を起こして、幕田まで官軍の宇都宮進軍に備えた。4月21日夜半からの豪雨の中で、午前2時頃から姿川をはさんで、両軍の激戦が展開された。
初め幕軍の攻撃が鋭く、併せて豪雨と深い霧に悩まされ、加えて三方から包囲される形となり官軍の負色が濃くなったが、明け方になって援軍が到着し、漸く幕軍を潰走させることができた。 この時、戦死した幕軍34名の霊を弔い、大久保菊十郎外3名の有志によって、明治13年この地に碑を建立した。

○ 大政奉還とは

大政奉還(たいせいほうかん)とは、江戸時代末期の1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)に、江戸幕府第十五代征夷大将軍徳川慶喜が、大政(統治権)の朝廷(天皇)に対する返上を申し出た政治的事件である。