齋藤玄昌
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齋藤玄昌

○ 名医 齋藤玄昌
(めいい さいとう げんしょう)

齋藤玄昌は文化6年(1809)、現在の足利市に壬生藩医齋藤玄正を父に生まれました。江戸で医学の勉強をした後、天保5年(1834)、父と同じ壬生藩の藩医となり六代目藩主、鳥居忠挙に仕えました。その当時は藩主が医者を選んで藩医としていました。玄昌は身分の違いを気にせず誰でもわけへだてなく、治療に当たりました。

そのためサムライの中にはこういう人もいました。

「かりにも、殿様のお体を診察する地位にあるものが、身分の低い貧しい者を診察するとは殿様に失礼だ。そんなことをするなら玄昌を今すぐ壬生から追い出してしまえ」

玄昌は悩みましたが自分がどうして医者になったかを考え、身分の違いを気にせず誰でもわけへだてなく、治療に当たることにしました。

 

ちょっとまめ知識

壬生藩
は明治維新まで続いた藩でその最後の藩主が鳥居氏です。
鳥居氏の初代目は鳥居元忠(とりい もとただ)と言い徳川家康(とくがわ いえやす)が天下統一を果たした関が原の戦いを前に家康が会津征伐で東下する際に石田三成の挙兵に備え伏見城を守り、討ち死にしたことは歴史上有名な出来事である。

徳川家康の天下統一は鳥居元忠の功績を抜きには実現されなかったといっても過言ではない位、歴史上重要な人物です。